なぜ国語という科目を学ぶのか?

私は中学受験・大学受験と経験する中である一つの疑問をずっと持ち続けてきました。それは「今勉強していることが、社会で何の役に立つのだろうか?」という疑問です。このような疑問を感じるに至ったのはおそらく小学5年生くらいの頃だったと記憶しています。四谷大塚で国語の授業を受けている中で、文章中の登場人物の心情変化を図示する訓練を受けたり、論説文の文章構造について塾の先生が解説してくれることをノートにとっていた時に、ふと「何のためにこんなことやっているのだろうか?」と思い立ちました。この疑問は国語と算数について抱くことになったわけなのですが、とりわけ国語については強くこの疑問を感じていました。そして中学受験での国語や大学受験での現代文についてずっとこの疑問を感じたまま大学に進学することになります。

上記の疑問は大学院進学後から社会人にかけてようやく解消していくことになります。まず、大学院では大量の学術論文を読み込んでいく必要があります。この時、効率的に内容を把握していくためには高校3年までに学習した読解手法が非常に役に立ったと記憶しています。読解力がなければ学術論文を読みこなした上で、修士論文を書き上げていくことは非常に困難であると考えています。

社会人になると、電子メールのやり取りや各種レポート・契約書類の作成や読み込みが必須となります。(もちろん業務内容によります。)社会に出てみて良く感じるのが、意外にこの国語力がない人が多いという事です。書かれていることをきちんと読むことができなかったり、自分の考えを文章で他の誰かに分かりやすく伝えることができる能力というのは仕事をスムーズにこなしていくうえで必須だと思うのですが、ここで躓いてしまうとうまく仕事を進めていくことができません。(電子メールの文章がちょっと変な人って意外に思い当ったりするのではないでしょうか?)また、対面やウェブ、電話等で誰かと会話もしくは議論をする機会もすごく多いと思いますが、そもそもちゃんと相手の聞かれていることに答えられなかったりする人というのもたくさんいる気がします。このように社会に出てからも国語力というのは業務遂行のベースになっており、子供のころに絶対に養っておくべき能力だと考えています。

正直小学5年生のころに誰かが教えてくれたらもっと興味を持って国語という科目に臨めたのではないかと今でも思っています。国語という科目が将来何の役に立つのか、なぜ勉強する必要があるのかを答えてくれる大人というのは実は少ないのではないでしょうか?このようなエピソードがありましたので、私は娘に国語を学ぶことの重要性や大人になったらどういう場面で必要になるのかについて事あるごとに説明しています。まだ娘には実感が湧かないようですが、私が学生時代に読んだ論文をたまに見せてあげたり、例えば日常生活で何か書類を読む必要があるときには一緒に書類を見ながら「ほら、こういう時に読解力があると正しく書いてある内容を素早く理解できるようになるんだよ」という形で実感を持てるような工夫をしていたりします。

娘の国語力はまだ道半ばですが、社会に出てから基礎的なところで躓かないようにしっかりと養ってあげたいと思います。

本日もお読みいただきまして、ありがとうございます。

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