頭の中にある引き出しの探し方

個人的に思考力というのは十分な知識や技術があって初めて身につくものだと思います。知識や技術というのは思考するための道具になるからです。私は高校3年の時に大学受験のための予備校に通っていました。予備校と言っても全科目受講していたわけではなく、英語と世界史のみ受講していました。他の科目については塾無し自走で大丈夫だと思っていたからです。(話はそれますが、大学受験のための塾の活用方法はこのように科目ごとに決めるべきだと思っています。そこが全部寄りかかる中学受験との大きな違いです。)世界史については、単純に個人的な興味が強かったので、当時Z会で講師をしていたとある有名な先生の授業を受けたかったというのが理由です。

世界史は文字通り非常に膨大な知識を必要とします。特定の国を過去から現在まで縦串にさして俯瞰することと、特定の時代における世界情勢を横串にさして俯瞰することの2つの視点が要求されます。また、難関大学の入学試験では記述力が要求されますので、最後の最後まで知識と視点を養い続けることが必要になります。(これは難関中学の入試問題と同じかと思います。)授業の中でその講師から「知識というのは基本的に君たちの頭の中の引き出しにしまわれてしまう。君たちはすでに十分な引き出しの数を持っているはずだ。そんなに知識を持っていながらなぜ応用問題が解けないのか?それは君たちが君たち自身の中に設置されている引き出しの開け方を忘れてしまっているからだ。だから引き出しの開け閉めの練習をすることでどんな問いにも対応することができる。すでに持っている知識だけで、だ。」

当時の私にとっては目からうろこの考え方でした。応用問題に苦戦するのは知識や技術が足りないだけではなく、どこにしまったかを忘れてしまっているだけだったからです。つまり、必要な時に適切な引き出しから知識や技術を引き出すことができればすでにどんな問題にでも対応できる状態だったということです。この「引き出し理論」はその後の私の人生にも大きな影響を及ぼしました。例えば、英語です。私は現在外国人と英語で問題なく仕事ができるレベルの英語力を有しています。しかし、私は留学経験は一切ありません。英会話学校に通ったこともほとんどありません。TOEICも受験したことがありません。(もちろん自学自習で英語を学ぶことはありましたし、同僚がたまたま外国人だったのも大きいです。)「すでに持っている単語力・文法知識をフル活用しているだけ」にすぎません。必要な引き出しは十分に備わっているからです。学生時代に英語を勉強しておきながら特に会話やリスニングがうまくできないのは引き出しの見つけ方を忘れてしまっているだけに過ぎないのです。

娘にもこの考え方は常に伝えるようにしています。個人的な意見ですが、(男女に性差はないと思っているものの)女性は型から大きく外れたことを嫌う傾向にあると思います。娘を見ていて思うのは、既視感のあることは意気揚々と取り組めるものの、未知のものについては(できるにもかかわらず)チャレンジ精神がそがれてしまっているような気がしています。未知の問題に出会った時に必要な引き出しが自分の中のどこにあるか探す作業をやめてしまうということです。ちゃんと探せば引き出しがあるにもかかわらずです。柔軟な思考ができるというのは自分の中に備わっている引き出しの使い方がうまい事なのかなと思います。そのことを意識しながら日々の学習に臨むのと臨まないのとでは長期的には大きな差が生まれるような気がします。

引き出しの探し方は思考と直結しています。これは視認性のないものです。ですので、私も娘が勉強する姿を見ていて今思考しているのかいないのかを見分けることは簡単ではありません。一つの解決方法は思考過程を説明させることです。解ける解けないにかかわらずです。これで思考チェックをすることができます。全部の問題に対してこれをやることは時間的に難しいですが、これをすることでで少しは引き出しが開けやすい状態にはなるかなと思っています。

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