「褒める」のではなく「認めて」ます。

私は娘のことを褒めることはあまりしません。褒めても伸びるわけではないと思っているからです。ここで褒めるのは「凄いね~!」「頑張ったね!!」というような声がけを意味します。日頃の家庭学習においては「よく解けたね!」と声がけすることです。絶対にしないわけではありません。でもそのような無条件の賞賛を浴びせるのは本当に限られた時だけです。

娘が小学生になる前まではたくさん褒めていました。これは娘の自己肯定感をしっかりと確立させてあげることが目的でした。確固たる自己肯定感を持った今、必要以上に自己肯定感を引き上げることは少なくとも中学受験においてはポジティブな影響はないのではないかと思っています。そのことで自分を過信したり、自分の誤りを認めないことに繋がりかねないからです。

褒められるということについては「誰から褒められるのか」が重要だと思っています。例えばあまり近すぎない存在、例えばサピックスの先生であれば無条件の賞賛が効果を発揮する可能性が高いと思います。一方で、私のような毎日をともに過ごす身近な存在から褒められてもあまり効果はないと推測されます。それは娘の根底に「こいつの言っていることは本当か?ただおだてているだけではないのか?」という疑念がどうしても発生してしまうからです。これは私に関する信頼関係の欠如から発生している疑念というよりかは、私が身内であるだけに娘サイドに寄り過ぎているという前提からくる疑念です。小学5年生にもあると、目の前の事象を自分なりに咀嚼して物事を考える事が徐々にできるようになります。だからこそ「ほんとうかぁ!?」と考えるようになるわけです。これは正しい成長の過程にあると言えます。何でもかんでも素直に受け止めてしまうのは逆にこの先が心配です。

では、例えば娘のテスト結果が良い場合はどうしているかというと「今回はこの部分を一生懸命練習したら正解できてたね」「この単元はしっかり理解できているみたいだね」と認めてあげるということを意識しています。逆に良くなかったときは(どちらかというとこちらのケースの方が多いですが)「この部分が練習不足だったね」「もうちょっとこうしたほうがいいかもね」とアドバイスするようにしています。あまりに稚拙な間違いをしているときは「なんでやねん!笑」と面白おかしく突っ込んであげたりします。「なんでできなかったんだ!!」なんて怒ることはまずしません。無条件の賞賛と同じぐらい無意味だからです。それは日頃の家庭学習においても同じです。何度やっても覚えられない、解けないことで怒る事は無意味です。できるまで何度も繰り返しやればいいだけです。

ただし上記の話はあくまでも学習面においてです。例えば運動会でリレーの代表選手に選ばれた時や、小学校の課題で本人的に一生懸命作った工作を自慢げに見せてきたときなどは無条件の賞賛を浴びせます。つまり、TPOに応じて使い分けているという感じです。

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