公文と中学受験の関係について思うこと
私は娘を幼稚園の年中あたりから小3の12月まで通わせていました。公文については多くの方がネット上でその効果や弊害について書いています。私はといえば、もちろん効果も感じていますし、弊害も感じています。公文を退会させた後、しばらく「結局のところ通わせてよかったのだろうか」と心の中でモヤモヤしていました。ここでは私なりに公文についてまとめてみたいと思います。
公文については今振り返ってみて、ここは「通わせて良かった!」と思える点がいくつかあります。
まず算数についてです。
- 「エグめの計算問題に対する耐性がついた」:ご存じの通り公文は繰り返し計算をやらされます。特にきつそうだと感じたのが分数・少数計算の部分です。とにかくヘビーな計算が続きます。面倒くさい通分の嵐です。公文では中学受験に出てくるような実践的な計算問題は一切学びません。しかし、小4以降で出てくる実践的でエグい計算問題への耐性がついたと思います。つまり、「あの時公文であんな大変な計算問題をこなしたんだ」という自信です。公文の計算問題は計算の工夫とかがきかない、無慈悲にきつい計算を大量にこなす必要があります。実際の受験で必要な計算問題は計算の工夫を必要としたり、計算自体は複雑にはならないものの四則演算・分数・少数が入り混じるものが多いので、そうした意味では多少思考力が必要な計算問題です。したがって、見た瞬間に「エグい…」と感じる計算問題でも、「やってみるか」と思えるのは大きいと思いました。
- 「マイナスの概念を知ることができた」:ネットではあまり語られることがないですが、Gの最初で「マイナス」の概念について学びます。もちろんマイナスの概念は中学1年生の範囲なのですが、日頃の算数で地味に便利な概念です。例えば過不足算では表を書いて袋の中に多く入っている部分と少なく入っている部分を合計してゼロとなる均衡点を見つける作業が必要となります。(うまく伝わらなかったらすみません。)この時にプラスとマイナスの考えを知っていると結構便利だと思いました。それ以外にも何かと何かの数を比べる際に何かとマイナスの考え方を使った方がスッと理解できるときがあります。これは公文でやっていて良かったと思える点です。
次に国語についてです。
- 「様々な文章に触れることができた」:おそらく公文側も最大の狙いだと考えていると思いますが、確かに「くもんのすいせん図書」のラインナップは素晴らしいです。私自身娘にどんな本を読ませたらいいのかと思う事はよくありましたので、そこは公文に非常にお世話になったと考えています。娘も公文で読んだ文章についてはいまだに記憶に残っていますので、心の豊かさだったり、広い見識といったものへの一定の貢献はあったと思っています。
一方で、「計算力の正確性」「読解力」がつくことはないかなとは思いました。公文では暗算を推奨されます。(少なくとも娘が通う教室ではですが)もちろんサピックスでもP算数オンラインでも「暗算はできるようにしてください」と言われます。その方が計算処理が速くなるからです。中学受験の算数は計算処理が7割を占めるというのはあながち間違いではありません。計算速度が速い方が時間に余裕がが生まれます。しかし、その前に計算ミスは絶対にしてはいけません。そこはサピックスもP算数オンラインも意見は共通しています。つまり「計算に不安が少しでもあれば、間違えないように筆算するべき」ということです。娘は公文で筆算の途中経過を書かない手法をトレーニングした結果として、それが現在の計算ミスの温床となっています。現在計算の仕方を一から見直しています。
次に「読解力」ですが、これも別につくわけではないと思いました。公文では抜き出し問題について解答が正しいか正しくないかだけがチェックされますので、文章の内容が正しく理解できているかどうかを問われません。実際には「なぜ問題」は多少出題されますが、それでもなんとなく読めてしまえば抜き出すことができるのが実情です。読み方には理論があり、それを幼少期からしっかり身に着けていく必要があったというのが現時点での私の見解です。たまに、「公文ですごく進んでいたので、中学受験が始まっても偏差値が高かった」という意見がありますが、それはもともとの読解力が高かった可能性があります。低学年時は読解力を点数化してチェックする場面が少ないので、公文によって高まったかどうかを確認することは非常に難しいです。少なくとも娘については公文を通して読解力は身につきませんでしたし、今年になって読解理論についていろいろと勉強した私からみて、読解力を身に着けるための方法というのは別に存在するというのが現時点での見解です。
私なりに娘を公文に通わせてみての感想をまとめてみました。いろいろありますが、トロフィーをもらえる制度は非常に良かったと思います。娘もトロフィーをもらえたことで自信につながったり、公文を通うモチベーションになったことは間違いありません。公文と中学受験は別のコンテクストで語られるべきであり、公文は中学受験に「多少は」いい影響がある程度だと考えたうえで、第一に「学習習慣の定着化がはかれる習い事」という風にとらえるのが良いのではないかと思っております。ただし、先取がどんどん進むと公文だけでものすごい学習時間をとられますので注意が必要です。(少なくとも私はこれが苦痛でした笑)
しかしです、実は娘が中学生になったらこれまた受験とは関係のない部分で公文を復活させるのはありなのではないかと考える部分もあります。(娘が望む&時間が許せばですが)これについてはまた機会を改めてお話ししたいと思います。
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