何度も試して無理だった文章読解の先取り

私は先取りの取組意義について常々考えることがあります。

算数にしても、国語にしても先取り学習というのは本当に必要なのだろうかということです。中学受験というコンテクストの中においては算数のように先取り学習によって同学年のライバルよりも優位なポジションにつけることができるとは思います。算数の場合、さまざまな問題パターンを認知することで解法に対する思考力が強化されますので、他の子供よりもたくさんの問題パターンを認知しておいたほうがテストで良い点を取れる確率が高まるからです。では、中学受験がないとしたら私はどうしたでしょうか?娘の能力に応じて先取りをさせたかもしれないですし、先取りはさせなかったかもしれません。いずれにしても中学生以降の数学を見据えた準備をさせていたと思います。

国語についてはどうでしょうか?国語は算数と違って問題演習量はさほど重要ではないと思っています。ネット上でも国語教育の専門家の方々がおっしゃる通り、一つの文章をきっちり読み切れるかが大切だと思います。(実は以前まではこのように思うに至りませんでした。)娘の場合中学受験をさせようと思っていますので、くもんやその他の文章読解問題集などでより高い学年の文章を読ませたりしようとこれまで何度もチャレンジしてきました。国語も算数のように年齢よりも高い学年の文章を読み込んでいくことでテストにおいて優位に立てるのではないかという仮説が私の中であったからです。しかし、娘の場合それを何度やっても国語の成績は特に上がりませんでしたし、そもそもの国語力が高まったかというとそうではありませんでした。それ以前に、語彙力が足りなかった上に論理的思考能力も年相応しかなかったことでそもそも無茶だったのかもしれません。例えば「主観的」「客観的」という概念に対する考え方というのは小4になった今でこそなんとなくわかるようになってきたものの、小2や小3の段階では到底理解できるものではありませんでした。教え込んだとしてもきちんとは理解できていなかったと思います。また、ある抽象的な概念を説明するための比喩表現についても比喩として捉えることができない、もしくはそれが何の比喩なのかを理解できないという状況でした。

くもんのFやG、もしくは文章読解問題集の小5あたりになってくると上記のような表現が当たり前に使われてきますので、これらをいくら頑張ったところで負荷が強すぎるトレーニングをしているようなもので、逆に文章嫌いを引き起こしそうな状況でした。

今は小4にもなりちょっとずつ語彙力や論理的思考力が身についてきたものの、国語についてはあまり文章読解の先取りをさせようとは思っていません。年齢相応ないしは娘がきちんと読むことができる文章のレベルの中で正しく文章を読むことができるトレーニングを積み重ねることが大事だと引き続き思っています。むしろ、もっと簡単な文章もたまに織り交ぜながらその簡単な文章を深いレベルで吟味できるかどうかも意味があるのではないかとすら思っています。これについてはサピックス国語の小3テキストを引っ張り出して、学習以外の時間で読書代わりに読んでもらっても良いのかなと思っています。

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