子供に「この問題が分からない」と言われたときの対処法について

最近頭を悩ませていることがあります。それは「この問題が分からない」と言われたときの適切な対処法です。

どの年代においても分からない問題を聞かれることはありましたが、それでも幼少期はそこまで深く考えることなくさっさと教えてあげたりしてました。しかし、受験期に突入してくると「安易に分からないと言ってくるのは良くないんじゃないか」とか「こっちも時間内からさっさと教えてしまいたいけど、本当にそれは子供のためになっているのだろうか」と悩むようになりました。私個人としては、分からない問題に頑張って対峙してもらいたいと思ってます。別に最終的に正解できなくてもいいんです。いろいろ思案することで思考力の向上に寄与していると考えているからです。とりあえず時間をかけてなんとか答えまでたどり着いてもらえたら、どんな答えだろうがまずはゴールまでたどり着いたことを褒めつつ解き方を教えるという流れがあれば価値はあるのかなとは考えています。

一方で問題なのは時間が限られているという事です。今は国語算数のみならず理科社会でも同じようなことが起きます。(社会よりも理科ですかね)そうすると上記のような悠長なことやってるとあっという間に時間が無くなってしまい、その日にこなすべき復習作業が終わらないという問題が起きてくるようになりました。こちらも時間が無くなってくると精神的に追い込まれてしまい、つい娘をせかすようになってしまいます。夜寝る前に「あー、今日も良くない対応を取ってしまった・・・」と反省する日が何日もありました。

今現在は、娘には次のような対応を取ることにしています。「この問題が分からないから教えてー」→「とりあえず1分頑張って考えてみて。それでなんとなく解けそうであれば頑張って答えまで行ってみよう、別に間違っててもいいから。逆に、全然何も思いつかないようであれば教えるよ。」

うちの娘は良くも悪くも「普通の子供」だと思います。別に勉強がものすごく好きかというとそうでもないですし、爆発的な集中力を発揮するかというとしょっちゅうぼーっとしてます。思考力の瞬発性(頭の回転の速さ)があるかというとそうは見えないです。そういう普通の子供が学力でトップ層に食い込むためにはどうすればよいか?今の私の見解としては「できるだけ多種多様な問題に触れることで、思考回路を強化する」だと考えています。となると、限られた時間の中で「じっくり考える」ということと「多種多少な問題に触れる」という矛盾したものを両方満たす妥協案として上記のプロセスを採用しました。正直1分間って短いかなとは思います。別に2分にしてもいいかもしれません。ここについては娘の様子を見ながら調整していきたいと考えています。

もちろん上記の流れでさえもうまくいかないこともあります。娘もだんだん狡猾さを身に着けてきていますので、1分間ぼーっとしているだけで凌がれることもあります。理想論だけではうまくいかないのが子供と対峙する時の現実でもありますので、うまくおだててみたりするとか工夫をしないといけない時もあります。

なんだかとりとめのない文章になりましたが、最近個人的に悩むことも多かった問題なので書き留めました。

本日もお読みいただきまして、ありがとうございます。

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